2024年冬CCS特集:第3部総論 バイオインフォマティクス
空間オミクス解析が進展、脂質の全容解明も
2024.10.03−バイオインフォマティクスは、生命科学研究の重要なツール。解析対象が大規模化、複雑化し、基礎研究と臨床研究との連携・一体化が図られる中、新しい研究テーマに対応できるインフォマティクスツールの開発が必要とされている。とくに、信頼性の高いデータを取得するための機器や分析方法の開発から、自動化・ハイスループット化を前提とした拠点構築、最新の研究手法を駆使できる人材育成まで、総合的な取り組みが重要になってきている。
遺伝子解析、ゲノム解析から始まったバイオインフォマティクスは、ゲノミクス(遺伝子の総体)、トランスクリプトミクス(mRNA転写物の総体)、プロテオミクス(タンパク質の総体)、メタボロミクス(代謝物の総体)、リピドミクス(脂質の総体)など、さまざまなオミクス解析へと発展した。この結果、例えばがんなどでは、有効な治療法が発見されるなどの成果も得られている。しかし、現状ではがんの根治は困難であるほか、多数の因子が関係する疾患になると病態のメカニズム自体が不明であり、オミクス情報だけでのアプローチに限界があることも明確になってきた。
そこで注目されているのが、各階層のオミクスデータを連携させるマルチオミクス解析である。事実、各層のオミクスに含まれる分子が動いて関係し合い、一定の経路に沿ってさまざまな生命現象を発現させているため、生体内での分子のダイナミックな動きをとらえることが理想。そこで、空間解析≠ニいう技術が発展してきている。
空間解析は、2019年ごろから第1世代が登場したもので、病理組織の切片を次世代シーケンサー(NGS)にかけて、組織内における細胞の空間的な位置情報を保ったまま、遺伝子の発現をとらえることが可能。当初は解像度が低かったが、2022年には第2世代の機器が開発され、空間トランスクリプトーム解析が行われるようになった。組織切片内の転写産物を1分子ごとに検出することができたことで、局所的な細胞ごとにがんの物性が異なることなども観察されるようになったという。これにより、分子標的薬が有効な部位、化学療法が有効な部位、免疫チェックポイント阻害が有効な部位などが特定されるようになり、個別化医療に即した治療戦略が立てられるようになるとも期待されている。
具体的な研究プロジェクトの1つに、科学技術振興機構(JST)の戦略的創造研究推進事業「ERATO」の研究領域として進められている「有田リピドームアトラスプロジェクト」(研究総括=有田誠・慶應義塾大学薬学部教授)がある。脂質は生体膜を構成し、多彩な役割を持つ生体分子で、単独で生理活性を有するほか、分子集合体として反応場などの制御にもかかわっている。ヒトの体内には10万種類の脂質があるとされているが、まだ8,000種ほどしか発見されていない。脂質代謝異常は多くの疾患の背景因子だが、臓器ごとにどこに何が存在し、どのように認識され、利用されているのかを分子レベルで理解することは、新たな創薬シーズの発見や、早期診断・治療などの医学応用にもつながる可能性がある。
このプロジェクトは、脂質多様性、脂質機能ゲノム、脂質機能タンパク質、脂質生命情報解析、脂質生命機能−の各グループが研究を推進しており、最終的に生命の脂質多様性および分布・局在・脂質修飾を総体としてとらえる「リピドームアトラス」を創出し、特定の脂質がもたらす局所環境が多細胞系の動態や機能に及ぼす影響の解明、脂質多様性を制御することで発現する生命現象の理解と、それが破綻することによって生じる疾患の解明を目指している。研究では、空間解析やマルチオミクスのアプローチを通してこうした課題に迫ろうとしており、今後の成果が期待されている。